番頭、でございます。
今日はいつにも増してとりとめもないお話しに終始します。有益な情報とかをお求めの方は申し訳ないのですが飛ばしていただければ。もっとも、しょうもない話を全部飛ばすと読む所なくなっちゃうんですけどね、このブログは。
今朝のお茶は2種類。寒さと朝の両方が得意ではない小梅さんを待ちながらぼーっと飲みました。
つまんない事を次々と考えながらまずはプーアール熟茶。昨日小梅さんが飲んでいた、けっこう年月の経ったお茶です。 ほっっぽっておいても美味しく熟成されるのがありがたいですね。ほっこりと美味しい、飲みやすくてかつ味のしっかりした熟茶でございました。
背中を丸めて熟茶を飲むといつも出る「はあぁ」という、オッサンが湯船で放つ第一声のような幸せの溜息。
溜息とともに眠っていたシワの少ない脳味噌がちょっとだけ動き出して、色んな事をとりとめもなく考え始めます。
「『お茶の間』とか『お茶の時間』とか『おやつ』って、どこいっちゃったんだろう?」今朝のしょうもないハテナはいつものようにしょうもなく始まりました。今朝突然に湧いて出た事ではなく、何となく前々から考えていた事ではありますが。
お茶の間、という番頭世代には当たり前のような単語も、今の若い人達にはあまり馴染みがないみたいなんですね。番頭にとっては家族がテレビを観ながらミカンを食べたりお茶を飲んだりする場所なのですが、そうでないより若い人達にとっては「=茶室」的な、よりフォーマルな響きがあるようで。
てな事をつらつら考えつつ、お茶は二種類目に移ります。ネパールの紅茶「チャバリ」。シンガポールの紅茶屋さん「TWG」のものです。ううむ、これを紅茶と呼んでいいものかどうか躊躇しますですね。すげえグリーニッシュです。香りはすごいですね、味わいはあくまでフレッシュ。好き嫌いが分かれそうなお茶かしら。美味しいんですけどね、三日連続で飲めって言われたらちょっと辛いかもしれません、番頭にとっては。
延々と熟茶と紅茶を飲み続けながら、まだ頭にはおんなじ疑問が残ったままです。近づいたり遠ざかったり、大きくなったり小さくなったり。
お茶と人の距離、というのがちょっと遠ざかっているのかもしれないな、と思います。
量とか質とか、そういう事も勿論大事なのですが、何より気になるのがこの「距離」です。番頭が子供の頃にはお茶(全般)はもっと身近で気軽な存在だったように記憶しています。
お茶の間、お茶の時間、「お茶にしましょうか」という合図。
少しずつでもお茶という言葉が特別なものではない身近で気軽なものになってくれると嬉しいっすね。