岩韵、という言葉があります。
岩茶の味を語る時になくてはならない重要な要素の一つです。
武夷岩茶は岩によって育てられたお茶だと言われます。それほど武夷の岩山とお茶の結びつきは強いのでしょう。
では、岩茶は岩だけの力で勝手に美味しくなって、皆さんの口に入っているのでしょうか? 答えは当たり前ですが「否」です。 岩茶作りに携わる多くの人たちの手や愛情が加わって初めて美味しいお茶になり、私たちの舌を、そして心を喜ばせてくれるのです。 武夷山で岩茶作りに携わっている人たちはみんな本当に真面目にお茶を作っています。それは畑の持ち主である茶農も、街のお茶屋さんで働く若い娘さんたちも、そして早朝からお茶を摘み、寝ずの番をして焙煎を仕上げる職人さんたちも同じです。
ほとんどの人が日本ではついぞ名が知られる事もなく、また知られる事を期待する事もなくお茶を作り続ける日々だけを送っていきます。「美味しい!」という一言を聞くとき、彼らは本当に嬉しそうに、そして少しはにかみながら笑います。その笑みが、そしてお茶作りに流す日々の汗も岩茶のエッセンスだと思います。人韵、といったら少し大袈裟でしょうか。