8/25,26日(月・火)はお休みいたします。
また近くになりましたら折を見てお知らせ致しますが、まずは予めご了承いただければ幸いです。
ピロロン♪ 熱中症情報、というのが入りました。【暑さ指数31.4 ★★★☆☆ 運動は原則中止】だそうです。
お休み明けの皆さんにいきなり先制パンチ、そんな月曜日。あ、番頭です。
お陰さまで週末の試飲会も無事終了いたしました。至らぬ点も多く反省する事しきりですが、お付き合いいただいた皆さまに助けていただき、暖かくも楽しい二日間になりました。心よりお礼申し上げます。
暑さのせいか定かではありませんが、愛用のデジカメがご機嫌ナナメでブツ撮りが出来ません。早く機嫌治るといいんすけど。せっかくの機会なんで文章やら図を駆使してアカデミックな事を何か書こうかしら、などと考えたのですが、それでなくとも暑い中、そんな暑苦しいものをお見せするのは如何なものか、と。
という事でちょっと涼しげな風景の写真なぞ。
場所は武夷山市、メジャーな観光名所の「風景区」からはちょっとだけ離れた場所です。とはいえタクシーでもちゃちゃっと行ける距離です。
「下梅」というのがその場所の名前です。いわゆる古鎮=古い村の一つです。いにしえの佇まいを残す街並みに観光客も結構訪れ、そうした人向けに農家の土間で食事を供する「農家飯」を経営する家も少なくありません。「お父さんの小さい頃はこんな感じだったんだぞ」などと子供に講釈垂れつつ一家で食事するオヤジさんの姿が目に浮かびます。
水路が巡らされている事から、ここがかつて物流の盛んな場所だった事が見てとれます。
点在する建物は明代末から清代にかけてのものが多く、今なお普通に人が住んでたりします。ええと、大体17世紀後半から18世紀ぐらいすかね、って事は300年以上経つって事でしょうか。
それだけ堅牢に作られている、という事ですね。物資が集積し、それが富を生み出していた証拠になるかもしれませんね。。。ま、単に地盤が強いだけかもしんないすけど。
水路が発達していて、しっかりした作りの建物が多いのは、実はここがかつて武夷岩茶の集積地であり、ここから武夷岩茶が中国各地、果ては北の辺境へ、はたまたモンゴルへと運ばれていった場所だかです。
有名な茶馬古道と比較するとずっと最近の話にはなってしまいますが、それでもここ下梅がお茶の交易の出発点であった事には変わりはありません。
下梅村に建てられた石碑には「晋商万里茶路起点」とあります。晋商とは現在の山西省あたりを祖とし、中国各地で活躍した商人や金融業者の事です。山西商人は塩・米穀の取引で富を得、その財力を以て金融業にも進出し中国国内を席捲した一大勢力です。その活動が一番盛んだった時期が明・清代。ちょうど下梅村の古い建物が建てられた時期に一致します。
この、いわば「もう一つのティーロード」は下梅を起点に北方は遙かモンゴルへ、その終点は現在のモンゴル国境を越えた先、ロシアのキャフタあたりだと確認されています。もうちょい行ったらバイカル湖…あきんど恐るべし。
こんなのどかで小さな村からはるか千キロ以上離れた異民族の地へ…お茶ってそんなに儲かるのか?とお世辞にも儲かってるとは言えないお茶屋の番頭は首を傾げるばかりです。