物忘れが激しくなり、好奇心がちょっと鈍くなり、世間が狭くなる。
気持ちの良い土曜の朝からぱっとしない話題で恐縮ですが、トシ取るつうのは多かれ少なかれそんなモンなのかもしれません。
先日、「旺文社ラジオ講座」ってのがお客様に通じなくてアレレ?となりました。若い頃母上様が「復員だより」とか言い出した時の番頭の「はあ?」と同じようなもんでしょうね。
「何だっけあの中々焼けなくていくら噛んでも飲み込めないの…」焼肉屋さんの話題の中での事です。ミノの事ですね今になって思えば。
世間が狭くなると「今」に疎くなります。なので番頭だけかもしれないですが、以前と比べて最近「聞香杯」てあまり見聞きしないように思います。茶荘を開店する前、今から10年くらい前は中国茶といえば「飲む器と香りをかぐ器がセットになって」いて「クルっと引っくり返すんですよね」と言われるくらい、台湾式の茶芸がポピュラーでした。よく「おままごとみたいで可愛らしい」なんて言われたもんです。
中国では「杯底香」といって、飲み干したあとに茶杯に残った香りを嗅いだり、茶杯に注ぎ分けたあとの茶海の残り香をクンカクンカして聞香します。一手間少ないのと茶器一つ少なくのでこっちのほうが簡単っちゃあ簡単です。 今台湾の茶館とかお茶屋さんはどうなんですかね。すごい個人的な意見ですが、お茶を楽しむ時間とか異文化に触れる気分を味わうという点では、台湾のお茶屋さんや茶館にはまだまだ残っていてもいいかなあ、と思います。もしかしたら10年前の番頭は聞香杯を「合理的じゃないですねえ」などと一刀両断してたかもしれません。
ムダな事やムダな時間というのは、もしかしたらすげえ贅沢なのかもしれません。余裕が無いとなかなか楽しめないですし。
早上がりした週末の夕方に日が暮れていくのをぼーっと見ながら土手飲みしたり。
パトロールのお巡りさんに職質されたり。
エアコンの効いた涼しい居酒屋さんで飲んだほうが、とか家の近くまで来たんなら土手とかで寝っ転がらないで家帰って寝れば…なんつうのは理には適ってるけど、いつもそうだとあんまワクワクしないすね。いえ、土手で缶チューハイ飲むのがワクワクするとは限らないですけど。
マイ聞香杯、どこにしまったっけなあ。