
のっけから鉄分たっぷりな画です。すまんこって。

書類整理してたら色々出てきました。出張経費精算の領収書の束の中から旅費だのホテル代だの。
2015年、よくもまあ整理をほっぽらかしていたもんです。
怪我の功名、日付や行き先、金額などからこの年どんなお茶の旅だったかを思い出す事が出来ます。
↑は電車のチケット。まだ高速鉄道ではなく夜行の寝台車で移動してたんですね。
もう高鉄は運行していたけど、まだ便数が少ないのと到着時間の関係で夜行を選択してました。この年はどうやら1クラス上の軟臥を奮発してたようです。夜行の寝台車には無座→硬座→軟座→硬臥→軟座とクラスが分かれていて、ベッドで横になれるのは上2クラス。硬軟は読んで字の如くベッドの質。硬臥は3段ベッドx2の6人部屋、軟臥は2段ベッドx2の4人部屋で軟臥のコンパートメントはカギがかかる、という違いがあります。硬軟の価格差がそれほどでもないのでいつも軟臥は売り切れてました。
一番上のクラスで半日以上かかる長旅。それで料金が5千円くらい。右肩上がりとはいえまだこの頃の中国の物価は可愛いもんでした。

何年の時か定かではないですが、前後1年くらいのフライト。5月8日に日本から武夷山に飛んでます。春先のお茶の旅は茶葉次第でスケジュールが変わるので、まずは武夷山に入る所から。これは今でも変わりません。まだ上海虹橋から武夷山空港に便が出ていた頃ですね。この時のMU5647便は現在は虹橋→アモイで運行してます。今見てもこの組み合わせは便利だったなあ、くそう。

台湾行きは基本的に劉さんの茶畑がある鹿谷に直行直帰なのでシンプルです。この年は珍しく行きに台北に寄ってますね。ドラスティックに変化する中国と違い、新幹線という背骨が一本通ってる台湾の場合は移動手段も大きな変化はありません。台中駅と鹿谷の往復が劉さんの車の時もあれば、

バスの時もあるくらいで。
まだこの頃は台幣のレートも今ほどひでえ事もなく、昨今アタマが痛い台北のホテルの高騰もどうせ劉さんちに泊めてもらう小梅さんには全く関係なく、
至って平和かつ鷹揚に経費精算しとりました。

鉄分補給。
さらに昔の話で恐縮です。番頭が定期的に台湾詣でをしていた頃はまだ国際線が中正(現在の桃園)、国内線が松山と空港が分かれていて、両空港間はバスで移動でした。主戦場が高雄だったんでものすごい不便でした。なにしろ道路が慢性的に渋滞していてバスが何時間かかるかさっぱりで。なので高雄へは急行電車か高速バスで移動するほうが有利だったりもして。ちょうど一番頻繁に行ってた頃ようやく国際線乗り継ぎ専用の中正ー高雄便が出来たんでボロっちいプロペラ機でヒヤヒヤしながら移動してましたっけ。
trip.comとかを使えば日本にいながらスマホポチポチして中国国内の飛行機も電車も全部予約出来るようになり。武夷山の駅までわざわざ行ってチケット売り場に並んでやっと買えた乗車券も今や当たり前のようにチケットレス。便利になったもんです。留守番するほうにしてもヒヤヒヤしながら待たなくて済むんでだいぶ楽ですし、何よりその分小梅さんが茶葉とか茶壺に集中出来るんで有り難い限りです。